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2007年11月29日

「その時歴史が動いた」緒方洪庵

NHKの番組「その時歴史が動いた」は好きな番組です(^.^)
 
歴史には全然詳しくない私でも、すごくわかりやすいVTRなどを流してくれるため面白く観ることができます。
 
 
今回は「緒方洪庵」という、江戸時代のお医者さんの話でした。
私は全く知らない人です・・・。
 
しかし、「天然痘」防止に命をかけた医者、ということだったので、どんな立派な人なのか興味を抱いて観てみました。
 
 
・・・素晴らしい医者でした!!(*^▽^*)
 
 
一言で言うなら、医者のカガミです!
さすが歴史に残るだけのことはあります・・・。
 
 
緒方洪庵は、自分自身八歳の頃に天然痘にかかり、なんとか一命を取り留めた経験があるそうです。
 
体が弱かった彼は、武士の子でありながらも武士に向いていないことで落ち込みますが、やがて日本に入ってきた「蘭学」(西洋医学)と出会います。
そして彼は医学の道へ進むことを決意します。
 
 
医師になった洪庵は、患者のことを第一に考える名医として評判になりますが、その頃も天然痘は不治の病で、たくさんの命を奪っていました。
 
天然痘は高熱と発疹が出て、かかると三人に一人は命を落とすという伝染病。
かかってしまったら最後、打つ手がありません。
 
しかし外国では、予防が可能になっていました。
それは、天然痘にかかった牛の体からとったワクチンを使うというもの。
 
その頃はまだ日本にワクチンがなかったのですが、やがて日本に入ってきたそのワクチンを使おうと、洪庵は考えます。
 
 
「除痘館」と名づけた建物で、早速ワクチンを培養。
そのとき、共に働く医師仲間たちとの間で、一つの取り決めをします。
それは、「富めるものからとって、貧しいものからはお金を取らない」というものでした。
もし天然痘が防げても、それで餓死してしまったら意味がない、というのです。
あくまでも患者を大切に思う洪庵の優しさです・・・。
 
素晴らしい・・・!(*´▽`*)
こんな医者、なかなかいません・・・。
 
 

さて、ようやくワクチンも手に入って、 
これで天然痘は防げるようになった・・・はずだったのですが・・・。
 
 
なんと恐ろしいことに、巷でものすごい噂が流れてしまいます。
 
それは、
「牛のワクチンを打ったら牛になる
という、とんでもないものでした(゜Д゜|||)
 
 
科学でいろいろなことが解明されている、現代ですらも様々な迷信が残っています。
未知の物に対する不安は、相当なものだったのでしょう。
ましてや、牛です。
医学のことをまったく知らない人にしてみれば、理解不能だったのかもしれません。
 
命と天秤にかけたとしても、「牛でもいいわ、生きていれば」・・・とは普通思えませんからね(;´∇` )
 
 
しかし、そんな噂のせいで、誰も来なくなってしまった除痘館。
ワクチンは七日ごとに、人から人へと移し変えないと効力がなくなってしまうもの。
 
苦肉の策として、洪庵は貧しい人たちに米やお金をあげて、「そのかわりにワクチンを打たせてほしい」と頼んだのでした。
 
決してあきらめないで、患者のことを考え続ける洪庵。
除痘館の医師たちからも去られてしまったというのに、頑張り続ける彼を見ながら、いつあきらめてしまうのだろうとヒヤヒヤしてしまいました・・・。
 
 
しかし!
見てくれる人はいるんですよね(-^▽^-)
 
そんな洪庵の志に共感した医師たちが、様々な場所からやってきて、ワクチンを運んでいき、除痘館から分苗されたワクチンが、四国や九州なんかに広がっていったのです!
 
そして、人々もやっと、ワクチンを打つようになっていったのです。
それには、日本が鎖国を解いたことも大きかったみたいですね。
人々の中に、外国への理解や興味が広がって、それによって受け入れられるものが増えたので。
 
本当に時間がかかるものです・・・。
 
 
しかし最後の大きなヤマ場として、また問題が発生!(>_<)
 
なんと、ろくでもないものをワクチンだと偽って、勝手に打つ輩が出てきたのです!!
 
いつの時代にも、そういうサギっていうのはいるものですね・・・。
 
心の底から困っている人に対して、何もかも奪おうというその腹黒さには本当に腹が立ちます・・・。
 
 
そこでももちろんあきらめない洪庵は、幕府に「除痘館」を公認のものとして認めさせる、という最後の方法に出たのでした。
 
そして幕府は、除痘館以外の場所でワクチンを打つことを禁じ、見事に洪庵は信用を勝ち取ったわけですヽ(´▽`)/
(この頃の幕府はほとんど力がなかったはずですが、それでも幕府でなければできないこと・・・ってあるんですね) 
 
 
それまで10年。
そしてその後5年後に亡くなった洪庵。
 
ほんと〜に天然痘防止に命をかけた医者、だったんですね〜・・・。
 
 
患者が第一、という医者って、よく考えたら当たり前のことなんだけど、でもなかなか滅多にいいお医者さんって会えないですよね。
もちろんなかには素晴らしい医者もいるけど、そういう人に巡り合えるのが幸運、じゃなくて、当たり前であってほしいものです・・・。
 
 
番組では、洪庵からワクチンを受け継いだ分苗所の子孫を紹介していました。
 
その人はおばあちゃんでしたが、その町にずっと暮らしているお医者さんです。
そして、洪庵が発行した、「分苗しましたよ。患者のことを第一に考えてくださいね」というような文書を見せてくれました。
(そういうものを見ると、本当に洪庵という人が現実に生きていたんだなあ、と改めて感じます・・・)
 
 
彼女は、「医者は病を治すだけじゃなくて、心を救わなきゃいけない。私は医者と患者、というのが嫌いで、そういう風には思ってないの。人と人、友達だと思ってずっと接してるから」と、笑っていました。
私はその言葉にすごく感動してしまって・・・。
 
そういうことを、堂々と言えるってすごいです。
本当にそう思ってるんだな、というのが伝わってきて、すごく素敵でした。
患者さんたちの声も、作られたホメ言葉じゃない、本当の言葉という感じで
「こういうお医者さんにかかりたい〜!」って思いました・・・。
 
 
いつも思うことですけど、番組のつくりが本当にイイです(*´▽`*)
過去に素晴らしかった医者の洪庵だけではなく、現代につながるその志まで紹介してくれたので、とてもすがすがしい終わり方でした。
キャスターの松平さんがまたすっごくイイですし!V(≧∇≦)v
いつも観終わった後、しばらくぼーっと浸ってしまいます・・・。

 



 
posted by 水沢桃子 at 19:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | 「その時歴史が動いた」感想

2008年04月13日

「その時歴史が動いた」モーツァルト

今回の「その時歴史が動いた」はモーツァルト。
日本史がほとんどだと思っていたのでちょっとビックリしました。
 
クラシック音楽にうとい私でも、知っている音楽家です。
曲名はわからないものの、好きな曲もたくさんあります。
楽しみです♪
 
モーツァルトは生涯で800もの曲を書いたそうで、しかしその生涯は35歳と短いもの。
そして彼の時代は、クラシック音楽は王侯貴族のためだけのものでした。
それを、モーツァルトは市民のための音楽として変えていったとのこと。
今回の「その時歴史」はその部分のようです。
 
 
1762年、秋。6歳のモーツァルトは、ウィーンの宮殿でピアノを演奏していました。
その腕前は素晴らしく、皇帝に絶賛されたモーツァルトは“神童”と呼ばれます。
 
彼が生まれ育ったのは、オーストリアのザルツブルク。
そして幼い頃から父親に、音楽の英才教育を受けていました。
ヴァイオリンにピアノ、そして作曲。
 
モーツァルトが初めて交響曲を書き上げたのはなんと8歳のとき(゜Д゜)
『交響曲第1番』。
これを、8歳の少年が書いたってのがすごいです・・・。
 
 
そして、モーツァルトはそのあと、本場イタリアでオペラを観て、そのとりこになります。
 
 
とりこになったからといって、曲を作れるチャンスなんてそうそうないものですが、
モーツァルトは、オペラの作曲依頼が舞い込むという幸運を手に入れます!
 
そして、1770年12月26日、オペラ『ポントの王ミトリダーテ』。
モーツァルトが14歳で作ったオペラが公開。
 
愛する女性と息子に裏切られ、人間不信に陥った王と、
多くの男性からの求愛に翻弄される女性の悲劇。
モーツァルトは26曲の音楽によって複雑な人間心理を見事に描写し、大成功を収めました。
 
・・・・・14歳(゜Д゜|||)すごすぎ・・・。
 
 
そしてこの頃から、ザルツブルク領主の下で、宮廷音楽家として働き始めたモーツァルト。
また、外国公演やオペラの作曲依頼などもあって、
なかなか充実した日々を過ごしていたようです。
結構恵まれた音楽環境だったようですね(-^▽^-)
 
・・・しかし。
 
1776年。モーツァルトが20歳のとき、
新たな領主の伯爵と衝突します。
 
キッカケは伯爵の命令でした。
伯爵は、今後は教会の儀式用に短い曲だけを作れ、オペラの曲なんか作る余裕はないと言ったのです。
 
自由に曲を作ることが許されなくなったモーツァルト。
 
1777年、モーツァルトが父親にあてた手紙で、
“僕は気持ちを抑えられません”
“再びオペラを書き上げたいのです”
“オペラを書くことは、何ものにも代えがたい喜びであり、情熱です”とかかれていました。
 
我慢して、我慢して、それでもついに爆発してしまったモーツァルト。
 
1781年、25歳のとき、伯爵に「オペラを作りたい」と訴え、決裂。
伯爵家を飛び出しました。
 
家族にあてた手紙では、
“僕はもう領主や貴族に仕える不幸な身分ではなくなりました。
最高の日です。”と書き記しています。
 
・・・ホントに嫌だったんですね。
 
 
しかし。
ウィーンで音楽活動を始めたものの、全く仕事がありませんでした。
今まであった、講演依頼やオペラの作曲以来も途絶えます。
 
それは、ウィーンの音楽界を牛耳る貴族たちのせいでした。
伯爵と喧嘩別れしたモーツァルトを、伯爵に通じる貴族たちは使おうとはしなかったのです。
 
モーツァルトは、ものすごく大きな敵にケンカをふっかけてしまったことになるんですね・・・(>_<)
 
仕方がないので、自分で見つけてきた、ピアノの家庭教師などをして、細々と暮らすことに。
 
 
・・・しかしもちろんここであきらめませんでした。
 
オペラを上演して、貴族たちを見返したい。
モーツァルトは100冊以上の小説や脚本を読み漁り、
そして見つけたのが『フィガロの結婚』という話です。
 
当時のフランス貴族の愚かさや傲慢さを痛烈に批判した作品で、
当然ながら貴族から大きな反発を受け、
パリをはじめヨーロッパ各地で上演禁止になっていました。
 
ウィーンでも、皇帝が上演禁止令を出しています。
しかしあえてこの作品をオペラにしようと考えるモーツァルト。
 
モーツァルトはこの作品を通して、
人は身分では決まらないというメッセージ
歌と音楽でより強く観客に伝えようとしたのです。
 
 
しかし、上演禁止の芝居を、どうやったら上演できるか。
モーツァルトは計画を練ります。
 
まず、皇帝の信頼が厚い宮廷詩人を仲間に引き入れました。
そして、オペラ作りを中断されないように、脚本と音楽を極秘に完成させます。
 
そして宮廷詩人の信頼と人脈を利用して、皇帝に直接許可を求めるという作戦です。
 
さらに、貴族たちに受け入れられるように、当時のオペラの作法に従って
楽譜をイタリア語で仕上げました。
 
 
モーツァルトみたいに、貴族とケンカしている人はともかく、
宮廷詩人がどうしてわざわざそんな反乱みたいなことに参加したのかはわかりませんが・・・(;´∇` )
ともかく、計画は順調に進みました。
 
皇帝とじかに交渉することができたのです。
 
その場で、問題になっていた貴族批判のセリフは全てカットしたと伝えると、
信頼する宮廷詩人の脚本なら問題はないだろうと、内容を深く吟味しなかった皇帝。
 
そしてモーツァルトは、皇帝の前で『フィガロの結婚』の曲を演奏して聞かせました。
これもまた、作戦のうちの一つだったのでしょう。
 
すっかり魅せられた皇帝は、快く上演許可を出してくれました。
 
・・・鮮やかですね〜。
実際に、ここまで鮮やかだったのかはわかりませんが、すごいです。
モーツァルトは音楽家なだけではなく、策略家でもあるのですね。
 
 
そして1786年、5月1日。
ウィーンの王立宮廷劇場で、オペラが上演されました。
 
上演禁止されていた芝居のオペラ化ということで、貴族たちの関心を引き、
集まった貴族たちは一千人以上。
 
『フィガロの結婚』は、
ある伯爵に仕える女性、スザンナと、男性フィガロが、結婚間近の喜びを歌い上げるシーンから始まります。
 
そしてそんな二人の結婚を苦々しく思う伯爵。
スザンナを自分のものにしたいと思っているのです。
 
伯爵「私はため息をついて見ているだけなのか。
自分の召使いが幸せになるのを」
 
伯爵「私が望んでもかなわぬあの女を得る喜びを、
召使いがかなえてもよいのか」
 
モーツァルトは、フィガロからスザンナを奪おうとたくらむ伯爵に、
強欲で嫉妬深い貴族階級の姿を重ね、
貴族が使うイタリア語で、伯爵に身勝手な考えを歌わせました。
 
 
これに対し、フィガロは伯爵の考えをつぶそうと動き、
ついに伯爵は妻の目の前で浮気現場を押さえられ、
大勢の前で謝罪するという大恥をかかされます。
 
・・・妻もいて、浮気相手もいるのに、スザンナまで欲してたんですか(゜Д゜)
確かにものすごく身勝手だ・・・。
 
 
モーツァルトは、貴族批判のセリフこそ削ったものの、
貴族の傲慢さと、それを人々が知恵で打ち破るという痛快なストーリー全体に、貴族批判のメッセージを込めました。
 
劇場を埋め尽くした貴族たちは、自分たちをあざ笑うオペラの内容に騒然となります。
 
痛快ですね〜〜V(≧∇≦)v
想像すると、なんてスッキリしたんだろうと思います。
・・・でも、そのあと皇帝から死刑とか宣告されなくてよかったですね・・・。
 
 
 
さて、オペラを通じて、貴族たちにしっぺ返しをすることに成功したモーツァルト。
 
そしてこの頃、フランス革命が起こり、市民階級が貴族たちに反乱を起こし、立ち上がりました。
その動きはヨーロッパ全土に広がります。
 
新しい時代の流れの中、フランス革命の翌年、モーツァルトは「賢者の石」という歌芝居の曲を書きます。
「賢者の石」は、市民階級が集まる劇場で上演されていました。
 
モーツァルトにとっても、ようやくいい時代がやってきたようです。
モーツァルトは、新しい時代の担い手は貴族ではなく市民たちだと考え、クラシック音楽を、市民対象へと変えていきました。
 
 
そして、オペラ「魔笛」を作り始めます。
 
これはモーツァルトが、市民のために脚本から手がけたものです。
 
これまでオペラは、ウィーン市民が理解できないイタリア語で書かれていました。
しかし「魔笛」は、ウィーン市民が日常使う、ドイツ語で書いたのです。
 
そして、魔笛のストーリーに、フランス革命の精神である“自由”と“平等”を織り込みました。
 
 
モーツァルトは全身全霊をかけて、このオペラ製作に取り組みます。
しかし、そんなモーツァルトの身体を病が蝕み始めます・・・。
 
病に苦しみながらも、オペラを作り続けるモーツァルト。
まさにすべてをかけて、「魔笛」作りに没頭します。
 
作曲に取り掛かって五ヶ月後。
ついに22曲全部が完成しました。
9月28日・・・上演予定日の二日前でした。
・・・ものすごくギリギリ間に合ったって感じですね・・・。
 
 
そして、今回の“その時”。
1791年、9月30日。
市民のために書かれたドイツ語オペラ「魔笛」が、初めて大衆劇場で上演されました。
 
 
劇場は満員。
モーツァルトは、病をおして指揮台に立ちました。
 
  
そして、「魔笛」が幕を開けます・・・。
 
大国の王子、タミーノは、邪悪な蛇に襲われ、その隙に、古い権力やしきたりの象徴である夜の女王に取り込まれてしまいます。
 
続いて登場する鳥猟師パパゲーノは、頭に鳥のおもちゃがくっついたような、変わった扮装の、マヌケでコミカルな雰囲気の人。
 
王子から、「お前は誰だ」と尋ねられたときの、パパゲーノのセリフに、モーツァルトは“人間は平等だ”という思想を託します。
 
王子「お前は誰だ?」
 
パパゲーノ「誰かって?あんたと同じ、人間さ!」
 
 
王子は、魔法の笛の力に助けられながら、修行を重ねます。
そして、身分を問わず多くの人々と出会うことで、人間は皆平等であることを学びます。
 
夜の女王の支配から解き放たれた王子は、自由を手に入れ、
そんな王子の前に、夜の女王は倒されます。
 
エンディング、たくさんの人たちが高らかに歌います。
「私たちが勝った!」
「私たちが勝った!」
「褒美として、美と英知が永遠の王冠として飾られる!」
 
そして王子と、愛する女性(だと思います)が手を取り合い、
輝く大きな太陽の前に進んでいきました・・・。
 
 
モーツァルトは、自由と平等を志す人々の、どんな支配にも屈しない力強さを歌い上げました。
 
もちろん「魔笛」は大成功。
なんと一年間で83回も上演されました。
 
そしてそれ以後も、ヨーロッパ各地で上演されます。
さらに、ギター用やそれ以外にも編曲され、いたるところで「魔笛」の曲が親しまれるようになっていきました。
 
この時代の人々の心を、強くとらえた「魔笛」。
 
 
・・・しかし、モーツァルトは、「魔笛」初演から二ヵ月後、1791年12月5日に死去。
 
市民からの作曲以来も舞い込み、まさにこれからというときでした。
 
自らの死を予感していたモーツァルトは、家族にこんな言葉を語っています。
“僕の心の赴くままに、自由に何事にもとらわれずに作曲できるときになって、僕は僕の芸術を見捨てなければならない”
 
 

とても悲しくて、かわいそうなセリフです・・・。
 

 
しかしその後も、「魔笛」の精神は引き継がれていきます。
 
ベートーヴェンも、お気に入りのオペラに「魔笛」をあげていて、
とても影響を受けたようです。
今回来ていたゲストの人によると、有名な「交響曲第9番」(クリスマスなどに流れる曲)のメッセージ、“全ての人が兄弟だ”というのは、「魔笛」のメッセージそのものであり、メロディー的にも影響を受けているとのことでした。
 
非常に素敵なメッセージですよね、本当に・・・。
 
 
そして、日本の山梨県八ヶ岳に、モーツァルトが市民のためにつくった音楽の一つが残っているという紹介がありました。
 
「自動オルガンのためのアダージョとアレグロ」
 
モーツァルト晩年の曲で、この曲を演奏するための自動オルガンが、世界でたった一つ、ここに復元されているそうです。
 
モーツァルトはこの曲を、普段音楽会に行けない市民のためにつくり、
自動オルガンは、街の市民たちが集う場所に置かれていました。
 
曲的には、とても華やかで、聞いていると明るい気分になれるような感じです。
 
 
最後に、モーツァルトが、人間が大切にすべきものについて語った言葉を紹介して、番組は終わりました。
 
“僕は貴族ではないが、貴族にも勝る高貴な心を持っている。
人間を高めるのは身分ではなく、心だ”
 
 
自分で自分は高貴な心を持っている、と言い切れるのもすごいですが・・・
でも、そうなんでしょうね。
人に何か感動を与えられる人は、やっぱり高貴な心を持っているんだと思います。
 
 
私はオペラには全く興味がないんですが、その大きな理由として、「言葉がわからない」というのがあります(;^∇^ )
なので、今回の、市民のためにドイツ語で書かれた、という部分に感動しました。
 
実際、番組では、オペラのセリフを字幕で紹介してくれていたので、私にも意味がわかり、そしてものすごく興味もわきました。
「フィガロの結婚」も「魔笛」も面白そうです。
 
字幕でやってくれないかな〜と思いました。
 
 
今回の「その時歴史が動いた」もとても面白かったです(*´▽`*)

いろんなところで感動し、クラシック音楽に浸りたくなりました♪
posted by 水沢桃子 at 15:00 | Comment(3) | TrackBack(0) | 「その時歴史が動いた」感想
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